第14章 実践者と傍観者との間の壁 それは単純な事実にあった
(127~132)
文責 並木 克敏
mikenekobusu バーチャル気功道場
気を考える (127) 日常生活の中でさえも, 両者の間には越えがたい壁
が存在しているのであるから, 一指禅功という特殊な非日常生活の世界
で, 長年にわたり鍛錬を続けてきた人と, 書物やネットの世界で,気功を
知識としてのみ知りえた人との間には, 越えがたい壁があるのは当然
である。
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気を考える (128) 全色盲の人と, そうでない人との間では, 色彩に
ついての議論は成り立たない。それと同様に, 一指禅功という非日
常生活の世界で鍛錬してきた人と, 日常生活で蓄積してきた常識
を絶対視している人との間にも, お互いに意見がすれ違うだけで議
論は成立しない。
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気を考える (129) 両者の間に議論が成立しない理由は, きわめて単純
である。一指禅功の鍛錬を続けた人は, それまで経験したことのない不
可思議な現象が, 自分の身体の中で発現し, それらを視覚と触覚で確認
できるからである。しかし,知識だけの人は, 体に何の変化も起こっていな
い。
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気を考える (130) 気功に関して両者の間で議論が成立しない理由は,
食をテーマとしたテレビ番組で, レポーターでさえ今まで口したことのな
い味を, 茶の間にいる視聴者に伝えることと似ている。レポーターは,未
経験の食物を舌で味わっているけれど,視聴者の口の中には何もない
のである。
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気を考える (131) 気功を知識としてのみ知っている人は, 鍛錬に伴う
不可思議な現象を体験していないのであるから, 両者の間に議論がか
み合うはずがない。レポーターが味わっている未経験の味覚について,
視聴者がうまいのまずいのと感想を言えるわけがない。気功も同じで
ある。
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気を考える (132) 気功とは, 非日常世界においての鍛錬である。サッ
カーや野球などのスポーツのように, 日常生活の延長においての鍛錬
ではない。巨人の王選手は球が止まって見える, 川上監督は球の縫い
目が見えると言っていたが, それは日常の中で鍛えられた動体視力の
賜物である。
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