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第11章 気功の鍛錬者と傍観者との間の壁 (1)知識と実践
(106)~(113)


文責 並木 克敏 








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気を考える (106) 馬歩椿の姿勢をとり続けることで, 日常の肉体を超えて,身

体の内側にある変化を生じさせるのであるが, これを体験できた人と,傍観者

として眺めてきただけの人との間には, 行く手を遮る二つの壁がある。一つは

知識と実践, 二つは日常と非日常の世界の間の壁である。


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気を考える (107) 知識と実践とは, 「知っていること」と「実際にやること」であ

り, 換言すれば「頭で考えること」と「身体を動かすこと」である。特に, 鍛錬した

結果を身体に覚え込ませる, 気功のような場合には, 実践を伴わない知識は, ほ

とんど無価値であるか, 有害である。

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気を考える (108) 実践を伴わない知識が有害とは, その一例を挙げると, 品

川嘉也「気功の科学」(光文社)がある。品川氏は, この本のプロローグの中で

「気を体で感じる方法」として, 剣指で脳に向けて気を送っいるイラストを載せ

ているが,これは絶対にやってはいけないタブーなのだ。

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気を考える (109) なぜなら, 指先から発功する剣指の強い外気で, 脳細胞を

傷つけるからである。品川氏によれば, 1989年に気功に関する日中交流セ

ミナーに参加したとき, 現地の気功師から直接教えてもらったという。気功で

は,聞きかじりの知識は「百害あって一利なし」なのである。

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気を考える (110) 知識と実践との間の壁の一つに, 実践を伴わない知識には

 有害な情報が含まれている一例として, 品川嘉也「気功の科学」(光文社)を挙げ

 てみた。さらに, 知識と実践との間には, 「頭で考えること」と「身体を動かすこと」

という, 超えがたいもう一つの壁がある。


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気を考える (111) さらに云うならば, 知識と実践とは「知っていること」と, それ

が「できる」かということでもある。私個人の話をすれば, 庭木の剪定をするとき

まず庭木の知識が, 次に剪定の技術が必要となる。問題は,知識と技術が必ず

しもイコールで結ばれていないことである

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気を考える (112) 剪定のテキストには, まず切り落とす枝として, 交差枝や平

行枝,立枝や下り枝などと書かれている。植木の初心者は, これらのテキストを

暗記してから, 庭木に梯子を架けて登るのだが, どれがどれだかまったく分か

らず, 情けないけど樹の上で混乱するばかりである。


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気を考える (113) この剪定の知識と技術,「知っていること」と「できるこ

と」との間にあるギャップは, 現場で経験を積めば解消される事柄であ

る。剪定という行為は, 庭のある家庭なら誰もが経験していることであり,

上手い下手はあったとしても, ごく当たり前の日常生活の延長上にある。


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すまい&町並み 今昔物語

「第一章東京下町風景への旅」

「第二章同潤会アパートへの旅」




   


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